Ghost like girlfriend

TestifyColumn

2018.10.11.PM24:02

顔に関して「格好いい」とか「酷い出来だ」とかそういう事は言われないけど、昔から「良い人そう」とは時折言われる。
イケメン・不細工、顔の出来によってそれぞれ一長一短がほぼ半々であると思うけど、良い人そうな顔というのは若干損する事の方が多いんじゃないかと最近思う。

例えば格好良い人が格好悪い仕草を取った時、反対にあまり格好良くない人が格好良い仕草を取った時に生まれるギャップは、時に好感度を上げるきっかけになり得る。

良い人そうな人が少しでも悪い事をした時のギャップが好感度を上げている瞬間を知らない。
少なくとも俺には訪れてなくて、それ故に損をしてる方が多いのかなと思い始めた。

あの人は許されて自分は許されない、みたいな事が未だにそこそこある。
例えば同じミスにしても他人が1の力で怒られているのに対して、俺だけ5の力で怒られていたり。

学生の頃、クラスで浮いている子がいると職員室に呼び出されて「仲良くしてやってくれ」と言われる事が時折あった。
その先生の目にも俺は「良い人そう」に写っていたのかもしれない。
頼まれたからにはと最初は頑張るものの、浮く人には浮くだけの引っ掛かりがあって、結局限界が来て接し続けられなくなるのがオチだった。
その度にその子や先生に悲しい目を向けられて、今でもふいに思い出して謝りたい気持ちと怒りたい気落ちが生まれる。
本当に俺だけが悪かったか?と、いつまで思い続けるんだろう。

何にせよ自分がキツくなったら身勝手に手放すし、隙があればすぐ人を見下しそうになる。
人格の核があまりに酷いと分かっているから、学んだり真似てみたりの、自分なりの思いやりで隠しているけどこれが自分の核だ。

こういう事こそ曲にすべきなんだろうけど、あまりに莫大かつ漠然としすぎて未だ出来そうにない。
自分の人生があとどれほどあるのか分からないけど、重油のようにドロついて重たいアルバムを作る日が来るとしたら、この事について歌っていると思う。

外と中。
それらのニュアンスが違うからこそギャップや何かが生まれて誰かを惹くバランスが生まれるんだろうけど、違い方ひとつで逆に誰も寄ってこなくなるバランスが生まれる。
「格好いい顔にさえなっていれば」と思う日々もあったけれど、仮に明日から端正な顔立ちを備えたとして、中身がこのままでは結局変わらないなと気付いてしまった。
本当に難しい。

そういう話に巻き込まれたくなくて顔を隠して音楽を届けるという選択肢を取っている部分もあったり。
只、そろそろこの顔や見た目と向き合わなきゃいけないのかなとも思っている。
顔があろうが無かろうが、姿が見えようが見えまいが、音楽がスッと届いてくれたらそれだけで良いんだけれども。

何歳までこんな面倒な事考えなきゃいけないのかな。

2018.10.11.PM24:45

back